玄米による食事療法で、白血病を克服した例
現代医療と現代医薬品に長期間世話になっているにかかわらず、いっこうに改善の兆候がみられないどころか、次第に悪化してきているとしか見えない人びと。
迷い苦しみ悩んだはてに、食事改善をしたら良くなるだろうかと、わが家がたどったと同様の過程を、たくさんの人びとが歩んでいます。
そうした人びとの中で、特に記しておきたい例をいくつか掲げてみます。
最近、白血病や悪性貧血(再生不良性貧血、溶血性貧血、骨髄異形成症候群等)症状を呈する子供が増大しています。
このうち、急性リンパ性白血病、急性骨髄性白血病、悪性リンパ腺腰を、玄米食でみごとに治癒させた家庭を見るにつけ、私は玄米のありがたさに改めて感謝するばかりです。
ガン再発を防ぐ為のおすすめ食事☆「有機(自然農法)玄米+雑穀米」
Mさん一家は、長男が小学四年の時、急性リンパ性白血病を発病しました。
最初は風邪の症状だったのが、入院して精密検査で、白血病だと診断されたのでした。
それから一年間、病院への入退院の繰り返しです。
体調は良くなる兆候なく、化学薬品の注射と服用と検査が回を追うごとに多くなる。
Mさん夫婦は、これは世間でいう検査漬け、薬漬け医療にはかならないのではなかろうかと不安になってきました。
このままでは将来の健全な成長はおぼつかない、と判断しました。
そして「運を天にまかせる思い」というか、「断崖から谷川に飛び込む思い」でというか、玄米正食による食事療法に踏みきったのでした。
踏みきるまえに、Mさん夫婦は、息子がなぜ、このような病気にかからなければならなかったのか、その原因を真剣に考えたのでした。
いままでの生活が正しかったなら、病気になどなるはずはない。
いままでの生活のどこかに、病気になる原因があったのにちがいない。
その原因は、いったい何か。
それを、すぐに的確に見つけ出したり、見当をつけることなど、当時のMさんたちにできることではありませんでした。
生活のどこかにマチガイがあったにちがいない、ということは分かります。
マチガイの総結果が、たまたま、長男に集中して病気の症状に現われたのにちがいない。
だったら、生活全部を、ガラリッと変えたなら、マチガイの部分も無くなるのではないか。
そうすれば長男の症状を変えられるのではないか。
生活を変えれば、ちがう結果が出てくるはず、とMさん夫婦は考えたのです。
病気と健康にいちばん関係深いのは食生活です。
食べもの、飲みものにかかわる生き方、くらし方の根本を変えるのが先決と考えました。
人間は食わずには生きていけません。
食生活から変える決心をしたのです。
そして、近代的というか現代式の文化栄養食生活を投げ捨て、玄米食生活に踏みきったのでした。
そう決心し、実践をはじめた(一九八七1987年)以後のMさん一家の努力には、敬服させられます。
Mさん夫婦は、農業をする両親と同居で、Mさんは工場につとめて給料を得、奥さんも働きに出て時間給を得て、時間の合間には両親の農作業を手伝っていました。
「食は命なり」ということに気づいてのち、彼はサラリーマン生活をやめて農業に専念しはじめました。
奥さんも同じです。
農薬や化学肥料を用いた農産物を食べていては息子の白血病は治らない、そう知った彼は有機農法から自然農法へと栽培法を改め、自給自足生活の実現に進みます。
家が農家でしたから、そのような生活革命を行えたともいえますが、食料調達面だけのことではありません。
長男を医者まかせ、病院まかせにしていたこれまでの生活のマチガイに気づくのと同時に、子供の教育に関しても、学校と先生まかせにしていたマチガイに気づいたのです。
玄米食をはじめると、どの家庭でも、最初に、学校給食問題にぶつかります。
学校給食は、ほとんどの学校が給食業者まかせが多く、給食業者は個々の学童の体質や体調などいちいち考えてはいられません。
栄養士が指示する献立にしたがって、利潤を見込んだ給食をするだけです。
定められた予算内で、栄養があって、安くておいしいもの、となれば食品添加物や化学調味料によって本物らしく合成加工したものが多くなります。
加工度が多ければ多いほど、天然自然の生命力は減少します。
生命力が少ないくらいならまだ良いとして、化学添加物類の相乗作用によって身体を害する原因物となるものも多い。
そうなると、学童を健全に発育させるどころではありません。
病気体質にする給食になりかねない。
そもそも学校給食は、白米や白パンや牛乳や乳製品や卵や魚、フライものや加工食、果物などが多く、玄米正食の献立とはまるでちがいます。
Mさん夫婦は、学校にお願いして、自宅から弁当持参にさせてもらいました。
遠足や旅行、運動会やキャンプ、課外活動など長男の参加する行事には車に炊事道具をつけて、夫婦で付き添い参加し、長男の学業に支障をもたらさない対応の日々となりました。
学校の理解と、Mさん夫婦の人間性ゆたかな対応性もあってですが、三泊四日の修学旅行にも炊事道具持参で同道し、過去の生き方、くらし方からの脱皮につとめたのです。
その徹底した「生活革命」は、簡単には書き尽くせません。
それは、ひとつひとつ、涙ぐましい努力と忍耐の積み重ねでしたが、長男の体調は次第に良好になり、毎月の定期検査も回を重ねるごとに医師も目を見張る改善ぶりです。
中学2~3年になると体調は安定し、高校生になると定期検査を必要としないお墨つきをいただき、いまや病気と緑のきれた健康な社会人です。
一家も、皆病気しらずの家庭になり、Mさん夫婦は自家栽培の米、麦、そば、野菜を用いて手造りおやきや、クッキーを同好者に配布し、手打そば屋開業に到達したのです。
子供の病気のおかげで、あなたまかせの奴隷的だった人生が、自主独立の人生へと生活を改革できたのです。
Mさん一家の例に励まされて、長女が急性骨髄性白血病で入退院を繰り返していたTさん一家も、玄米食療法に生活をきりかえました。長女が小学五年の時(1989年)です。
Tさんは、医師からは骨髄移植しか治療法はないといわれていました。
薬局を経営する手前、薬と骨髄移植で治るなら、そうすることに抵抗ありません。
しかし娘の将来を考えると、一生、病院と薬に依存せねばならないのは、なんとしてもゆううっです。
根本的に治すには、食事療法以外にない。
それも血液の病気となると、玄米正食がいちばん安全で、しかも確実な効果を得られる、そうした予備知識を本や体験者から学びました。
必要な食品の調達法、料理のしかた、献立と食べ方、それらをひととおり学習せねばなりません。
知れば知るほど、学べは学ぶほど、玄米正食法はこれまで行ってきた食事法と生活法とちがう。
ちがうだけに、娘のためになるような気がしないではありません。
なぜなら、いままでは、良いと思ってやってきたことが、どれも良くないのです。
まだ体験していない骨髄移植は、のどから手が出るほど、魅かれます。
条件の適合した提供者が見つかりさえすれば、医師のいうとおりに従おうと、いくど考えたかしれません。
その反面、すぐに不安と恐怖に襲われるのでした。
さんざんに、心揺れ動いたのち、食事療法に踏みきったのでした。
食事を変えてしばらくは、検査のたびに数値は上下して、なかなか定まりません。
血小板数値が、一万単位を上ったり下ったり、出血でもしたらどうなるか、医師も学校も家庭も腫物を扱う脅えかたです。
ただ、本人の自覚症状が、こころもち快活になってきているのがせめてもの救いで、血色や肌の状態も改善の兆候は見られない。
Tさん夫婦は、自分たちの選択で食事療法をはじめたものの、これで本当に大丈夫だろうかと、毎日不安になってくる。
しかし、以前だったら風邪をひきこんで寝こんだと思われる状況にも、寝こまずに済んだり、身のこなし方に以前とはちがう明るい変化をすこしずつ感じられるようになりました。
そうした日々を繰り返して、二年たち、三年たつうちに、検査数値が徐々に向上しはじめたのでした。
血小板も、中学を卒業する時に五万単位に、はげしい高校入試にも耐えてみごと希望校に合格して、高二の現在九万単位にまで回復です。
この子も、この一家も、食事と生活を改革することによって、みごとに立直ったのです。
もちろん、従来からの医師の助言や指導の効もあったことはいうまでもありません。
このほかにも白血病治療例を、私はいくつも確認しています。
食い改めと生活革命によって、病気を治し、健康をとりもどして丈夫になった人たちを見るたびに、私は医聖ヒポクラテスの次の言葉を憶い出します。
「食べもので治らない病気はない。もし食べもので治らないなら、医者でも治せない」
食べものは神様なのです。
神様に治せない病気はありません。
私たちは、神様と一体の食べものとは何かを、知らないだけなのです。
神様の宿らない食べものを追い求め、愛好し、神様の宿る食べものと緑を失くしてしまっているのです。
「正しい食べものを、正しく料理して、正しく食べる」
これは玄米正食の基本思想です。
この基本を日々の生活として実践するなら、ヒポクラテスの言葉の真実は証明され、確認されるはずなのです。
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