-
食事療法の効果が現れるのは、時間がかかる
-
食のまちがいが病気の原理
-
肉食好きの野菜嫌いは尿毒症・腎不全
-
神の治療と人為の療法
-
白米と白砂糖は結核と下痢
-
病気になるのは、何かが間違っている
-
玄米を食べる事で血液を清浄にする
-
玄米と血液
-
天然自然の治癒力と人為人工の治療力
-
玄米は農薬に汚染されているのか?
-
病気になる理由
当サイトの更新情報をお届けします!フィードの購読はこちらから。
食事療法の効果が現れるのは、時間がかかる
玄米を、よく噛んで、コツコツ、モグモグ根気よく食べつづけると、いつしか体調は良くなります。
慢性的な病気もちのひとに私は、
「あせらず、あわてず、あきらめず、バカのひとつおぼえのごとく、コツコツとつづけなさい。それがいちばんの、かしこい早道です」と助言します。
モノゴトには、すべて、手順がある。
順番がある。
秩序がある。
順番がこなければ成就しない。
順番がきて実現する。
病気の場合、はやく治りたい、はやく治したい、と誰もが気は急きます。
しかし病気にも病人にも、それ相応の前科と因縁がある。
この前科や因果のひとつひとつが一枚一枚うす紙をはがすように、人が本来もっている自然治癒力のはたらきで、はぎとられ、消え失せるのには、それなりの順序がある。
その順序には、それなりの時間を要します。
根本的治療と治癒には、根気と忍耐が要るのです。
食事療法は根本療法です。
それゆえ「あせらず あわてず あきらめず」の精神が必要です。
「そんなのんきなことは、していられない。言ってもいられない。患者は救急を要すのだ。即時即刻の手術や注射や輸血や点滴を必要とする」
というのなら、そうなさるがよろしいでしょう。
食事療法や食養療法は、天命にさからって行う方法ではありません。
良寛さんが「災難に遭う時節には災難に逢うがよく、死ぬ時節には死ぬがよく候」とおっしゃった。
その精神が必要です。
覚悟が必要です。
西洋医学の方法の現代医療は、天命を待つとか頼る方式ではない。
医療技術力で可能なかぎりの処置をする。
施療側の考えで必要なら、いくどでも同じような手術でも投薬でも行う。
病症に対応することはすべて、正当化される。
ですから「手術は成功だったが、病人はたすからなかった」などという報告になります。
さもなくば、植物人間、廃人にしてまでも生かしておく。
赤血球の腸造血説を唱えられた千島喜久男博士(1899〜1978)は、「自然には飛躍はない」と申された。
含蓄の深い鋭いきびしい言葉です。
自然には飛躍はない。
なにごとも、なにものも、すべて、ひとつひとつの根拠、手順、秩序がある。
万物万象は、ひとつひとつの積み重ねの結果です。
この場合の「飛躍」は「手抜かり」とも考えられる。
「自然には手抜かりはない」と言い換えてもよいかしれません。
短い表現の中に、全宇宙、大自然の真理がみごとにとらえられていて、実にスバラシイ言葉です。
私たち人間の行うことは、どんなに綿密周到な行為行動のつもりでも、手抜かりばかりです。
時間がたつと、それらがいかに多かったかが、明白になる。
欠点や欠陥が露呈してきます。
どんなに精密・精細・精巧に諸事万端、一心不乱に集中努力・尽力しても、人間の行うことは手抜かりと手抜きばかりです。
科学は分類・分析が本質ですから、科学技術が進めば進むほど、手抜かりや手抜き部分が派生してくる。
科学の宿命です。
これゆえ、科学万能だなどと解釈していたら、とんでもない落しアナに墜落します。
人類はいま、まさに地獄のアナに墜落しかかっています。
これにくらべ、自然(神)の行いに、ムダも手抜かりもない。
ひとつとして飛躍はありません。
それなのに私たちは、人間の行うことのほうが、自然が行ってくれることよりも、すぐれていると考える。
これは、大きな錯覚です。
大きな大きな考えちがいです。
食べもので病気を治すということは、自然(神)の手順におまかせするということ。
自然の手順にまかせると時間がかかり、それに対応する人間の手順もかかります。
このへんの事情を納得できなければ、自然の手順などおかまいなしの人間の手順優先の医療や医術をたよるのがよい。
そのかわり、手抜かり、手抜き、副作用、後遺障害など落し穴が付随していることを覚悟しておく必要があります。
化学医薬品の副作用、放射線や放射能の副作用なども、便利のうしろにかくれひそんでいる障害、人為人工の手抜かり、手抜きの一例です。
玄米の力が十分に発揮されるためには、それなりの時間・空間の手順が必要です。
「あせらず あわてず あきらめず」は、そのための、こころがまえです。
このこころがまえで、コツコツとつづければ、いつしか風邪にかからない体質になり、アレルギー体質やその他の不健康体質を改善できて、いつしか病気のない身体と家庭になる。
したがって、本当なら、もうこれ以上のことを述べる必要はないのかもしれません。
カテゴリー:玄米が病気を治す
食のまちがいが病気の原理
食のまちがいが病気の原理で、食い改めが治癒の原理です。
なぜ、こんなことが病気と治癒の原理なのでしょうか。
食い改めるということ
「食なきところに生命現象なし」という格言があります。
「食」には広義の食と、狭義の食がある。
広義の食とは、日光、空気、大地など生活環境のすべてと、音楽、絵画、書、彫刻、演劇、武芸、舞踏、読書、旅、運動、労働など目・耳・鼻・皮膚などを通して摂取される教養や知識などこれらすべて食物の一種といえます。
狭義の食とは、人体の口からとり入れて胃腸へ送りこむところの、いわゆる日常の飲食物のことをいいます。
ここでいう「食」とは、口で飲み食いする食物のことと考えてくださって結構です。
「食なきところに生命現象なし」を裏返して考えると、「生命現象があるためには、食がなくてはならない」であり、さらに「生きるためには食物がなくてはならない」ということであり、「食わずには生きられない」「生きるには食わなくてはならない」ということでもあります。
要するに「食わねば生きられない」、これが生物生存の原理です。
それでは、ただがむしゃらに、欲するままに飲み食いすればよいかというと、ただ単に生きて死ぬだけならそれで済みますが、ヒトとして、人間として、それなりの生存者として生きるには、生き方と在り様が問題となります。
人間は神の子である、ともいわれる。
それなら、それなりの生き方と在り様があるはずです。
「食正しければ、人また正しい」という格言があります。
食が正しければ、その人は人間性も生き方も健康も正しい、という意味にうけとれます。
飲食にまちがいや不正がなければ、人生にも健康上のこともまちがいはおこらない、という意味にも解せます。
そして、ここでの問題は、「正し」の基準です。
「食正しければ」の「正し」は、いったい何を基準にしているのか。
およそ人間はだれもが、自分を、自分なりに正しいと考え、みなしています。
自分が正しくないことを行っているとは思わない。
これゆえ、自分のまちがいや不正になかなか気づかない。
自分では気づけないから、痛いとか苦しいとか、気分がわるいとか、神が病気や怪我の形で気づかせてくれる。
神が気づかせてくれてるのですから、救いや教えを神に求めるのがいちばん道理にかなっているのに、神に求める前に自分の知識や知に頼ってしまう。
それは神とは何か、神はどこにいるのか、それがわからないから拠りどころができていないのです。
この世の生物は、すべて、宇宙生命の分身です。
宇宙生命の分身ですから、宇宙生命力で生かされている。
私たちは宇宙生命力を、食物という形でいただいているのです。
宇宙生命と宇宙生命力を神と考えてもよいでしょう。
宇宙生命と生命力には厳然たる法則や秩序がありますから、これらをも総称して「神」というべきかもしれません。
ですから「食正しければ、人また正しい」は、「神の教えに従った飲み食いをしていれば、あるいは宇宙法則・宇宙の秩序に随順した食生活をしていれば、病気や不幸になることはない」という意味が明瞭です。
すなはち、病気や怪我は宇宙法則違反、宇宙秩序違反の警告にほかならない。
しかしこうした警告を受けても、自分がどのような違反を、どの程度犯したのか、あるいは犯しているのか、それが分かりません。
それを知るためには、何を、どうしたらよいか。
それが問題です。
この答えはいたって簡単です。
「食正しければ病気になるはずがない」のです。
ですから病気や怪我に遭遇したら、いまおよびいままでの飲食と食生活にまちがいがあったと察知せねばなりません。
それも一度や二度ではなく、常習的にかなりの期間にわたってまちがいを犯していたと考えられます。
原因あっての病気や怪我なのです。
以前、白血病のMさん一家の治病体験例を記しました。
医師はこの病気の原因を指摘してくれませんでした。
ガン再発を防ぐ為のおすすめ食事☆「有機(自然農法)玄米+雑穀米」
白血病がどういう病気で、患者はいまどういう状態であるかについては検査や診断の結果を説明してくれましたが、なぜ白血病になったかの原因の説明はありませんでした。
しかるにMさんは、「食は命なり」ということ、「食なきところに生命現象なし」ということ、さらに「食正しければ、人また正しい」という食と生命の関係を学んで、いままでの食生活に重大な間違いがあったからこそ、このような難病を招いてしまったと気づくことができたのでした。
自分では正しいと信じこみ、思いこんで行ってきたこれまでの飲食と食生活のどこかに重大なまちがいがあったのなら、これをキッパリ改めれば、改まった結果になる。
そのように判断したのでした。
そして、それは正解でした。
宇宙法則というか自然の摂理、自然の法則、宇宙の秩序、生命の秩序と申してもよいのですが、これに従う正しい食生活に改革する、これこそが病気の原理をわきまえた根本治療から根本治癒に至る基本理念なのです。
これは、個人の病気や怪我や不健康にかぎったことではありません。
家庭はいうにおよばず、会社でも社会でも国家でも地球でも、みな共通してあてはまります。
いま健康で幸福で、どこにも憂いも不安も心配もないというひとは、いまおよび過去に不正も間違いもない証明です。
こういうひとは、食い改めする必要はありません。
カテゴリー:玄米が病気を治す
肉食好きの野菜嫌いは尿毒症・腎不全
肉大好き。
毎日でも肉を食べたい。
肉を食べない日は、食事をした気がしない。
このように肉好きのひとがいます。
肝臓・腎臓が頑張って働けているあいだはよいのですが、やがて、じきにギブアップします。
血液はドロドロに汚れ、ねばっこくなって新陳代謝力が乏しくなり、尿毒症になります。
これをさらに医薬品で対処してごまかして、食い改めをしないでおくと、肝臓は化学薬品の毒性を解毒しきれなくなり肝機能障害をおこし、同時に腎臓障害を生じるに至ります。
それでも依然として正しい食い改め処方がなされないと腎不全を招き、突然死となります。
これらのひとは、肉は栄養食で、野菜には栄養はないという昔の常識がこびりついています。
肉より野菜のほうが栄養食であり、からだに良いという常識に改める必要があります。
カテゴリー:玄米が病気を治す
神の治療と人為の療法
すぐれた医師や学者は、病気は医者や薬や放射線や手術が治すのではないことを知っています。
病気は患者自身の自然治癒力が治す、と承知しています。
患者の生きようとする意志力と自然治癒力が失せてしまったなら、どんな名医が、どんな高価な秘薬や医術をつくそうが、病気を治すことも、患者を救うこともできないことを知っています。
これゆえ、医師と薬と手術は、患者の自然治癒力を高め強めるためのお手伝いであって、実際に病気を治すのは患者自身である、と述べています。
ところが大部分の医師と医学者は、まったくちがいます。
患者が体力を消耗しきってしまうほど検査します。
浴びるほどたくさんの薬を服用させます。
すぐ点滴を行います。
輸血もします。
いとも安直に手術します。
手術の繰り返しを、意に介しません。
薬物の投与が多くなれば、それに比例して血液・体液の汚濁が高まり、生命力の減退が余儀なくされるにかかわらず、いや血液には関係はない、それどころか薬と栄養剤によって血液はウイルスや菌に対して抵抗力を高め、殺菌力をも強めると信じています。
そうであるなら、薬や栄養剤の投与量に比例して症状はどんどん軽快になって、病気は治り、病人は減少しなくてはなりません。
しかし、現実はアベコベです。
それとも、まだまだ薬や栄養剤の投与量が不足しているのかもしれません。
いったいぜんたい、どの程度まで投与すれば、彼等のいう効果が証明されるのでしょうか。
医聖ヒポクラテスの「食物で治らない病気はない。食物で治らない病気は医者も治せない」の格言はどこへ行ってしまったのでしょう。
医者とは、本当は、食べもので病気を治せなくてはいけないのです。
食べもので治せないのは、医の真理も倫理も原理も技術も十分に理解も体得もできていないからです。
現代は、医師も患者も、食べものに対する考え方がまちがってしまっています。
日々の飲食など、とるに足らないもの、食欲と空腹は満腹満足さえすれば良いもの、という程度の解釈です。
自動車や航空機の燃料であるガソリンのようなもの、という理解です。
単なる燃料用ガソリンよりは、その中に抗菌や殺菌作用をする薬剤が添加されたほうが安心感が高いし、さらに栄養剤が添加されれば良いにきまっているし、それでも足りなければ放射線照射や手術や移植を行ったほうが良いにきまっている、こうした付加価値により食べものなどより現代医療はくらべものにならないほど高貴であと正当化されています。
血液・体液が正しく理解されていないから、このような人工物優位を肯定し正当化する常識になってしまっているのです。
現代医療のみにかぎりませんが、錯覚が常識化されているのです。
食べものと血液、血液とからだ、血液の質と生命力など、生命の基本が正しく理解できていません。
正しく理解できていないということは、正しい医学と食物教育がなされていないということです。
すでに述べたことですが、素粒子は地球(元素の固まり)の母であり、地球は植物の母です。
植物は土を食べて生きますが、動物は土を食べては生きられません。
それゆえ植物をいただいて宇宙の元素をとりこみます。
動物は植物を食物とする原則はここにあります。
植物は動物の母なのです。
人間は植物を通して生命元素を体内にとりいれる、これゆえに原則として、人間は穀物菜食が正しいのです。
植物の葉緑素クロロフィルは人体に入って赤血球の血色素ヘモグロビンになる。
赤血球こそ人体の生命の素粒子といえます。
これをつくれるのは、食物と生体でしかありません。
食物のなかでも、穀物がいちばんしっかりした赤血球となり、その中でも玄米はもっとも質の良い赤血球に転換する元素の固まりです。
「化学医薬品で赤血球をつくれますか」。
「栄養剤の点滴や輸血で、患者本人の赤血球や血液をつくれるのですか」。
「骨髄移植で血液をつくれますか」。
これらの答は、すべて「NO」です。
これらはすべて、応急処置、一時的な間に合わせです。
造血機能と能力を完全に喪失してしまった疾病患者に対しては、これらの処方、処置もしかたありません。
しかし、造血機能と能力を喪失させる医療を継続しておいて、最終的にこの処方しかないと結論づけるのが人為人工力を主体とする現代医療の手法です。
造血機能と造血能力をすこしでも向上させる、これが医学の根本でなくてはなりません。
それには、現状の血液状態をすこしでも良くする、浄化する、そのために全力が注入される医学と医療でなくてはなりません。
さあー、これはたいへんなことです。
地球環境問題も、核実験、原発、オゾン層破壊、大気汚染、河川汚染、地球温暖化、海洋汚染、土壌汚染、食物汚染等々、これらがすべて医療問題でもあるのです。
一滴の血液を、質実ともに、現状以上に浄血するのには、これらがすべて関係してくる。
医療とは、単に病んだ疾患部や病人を扱うだけでなく、本当は世界全体をイヤシロチ(清浄なる健康なる世界)にせねばならない使命をもっているはずなのです。
それなのに現代医療は、まるでちがったものになってしまっています。
人体を薬物と称する異物で穆しつつ、治療するという。
人体をケカレチ(頼れさせること、気枯れさすこと)化して治そうというのです。
食物によって浄血し、食物によって造血するということは、自分のからだで、自分用の赤血球を浄化し造血することです。
自分で自分の血液をイヤシロチにする、それによって疾患部をイヤシロチにする、そしてからだ全体をイヤシロチにする、神の治療とはそういうものです。
私の大腸がんの治療方針
カテゴリー:玄米が病気を治す
白米と白砂糖は結核と下痢
大正と昭和の前半期、結核はなぜあれほど、わが国では猛威を振るったのでしょう。
それは、白米食と白砂糖食生活が文化人および文化国への資格として、軍国主義国家観と一対となった「アメとムチ」だったのです。
自米食と白砂糖食は、結核菌を培養し、強化し、流行感染させるのに最適な、人体内外の環境をつくったのです。
現代のガンと同じように、当時の結核は不治の病とか死病と恐れられました。
そして、結核は結核菌が犯人だから、結核菌を撲滅するのが唯一最高の治療と予防法であるという常識が流布されたのでした。
このように人間は、己れの非を反省せず、悟ろうとせず、諸々の悪事や不都合なことの原因や責任は他に在りと転嫁して、結核の場合も原因は結核菌にありとしたのです。
結核菌には、とんだ迷惑なことです。
結核菌を招き、生み出し、培養繁殖させ、流行感染させるのはみな人間自身です。
白米と白砂糖に偏った食生活が、結核菌の風土、生活環境をつくり出すのです。
最近、自米食と白砂糖が復活してきています。
それに歩調を合せて結核が、暗然と復活してきています。
両者の因果関係がよくわかるではありませんか。
またこれらの食が流行の時は、下痢患者も増大します。
下痢は体力の消耗と低下をはなはだしく招きます。
抵抗力も低下します。
結核菌のみならず、赤痢、疫痢、コレラ、マラリア、流行性感冒等、およそ感染性の疾病の下地づくりが胃カタルや腸カタルを経て下痢症となります。
白米食と白砂糖食は、これらの素地づくりに最適の栄養食です。
いま、院内感染が、文化度の高い文明先進国で問題になっています。
文化度が高く、文明が進んでいるのなら、文化、文明の象徴のハズの病院で、起きてはならないことです。
白米とか白パンとか、白砂糖とか、抗生物質とか、こうした文化・文明度の高い飲食物や薬品が普及すればするほど、非文化・非文明的な、反文化・反文明的な現象や症状を招来するのです。
カテゴリー:玄米が病気を治す
病気になるのは、何かが間違っている
前回の記事では玄米食がガンを治癒する例として、白血病を改善した例を述べました。
ほかに、急性・慢性を問わず、さまざまな病気を、玄米食によって治療し健康をとりもどした人びとはたくさんいます。
そのひとつひとつの病名を記述するのは省略します。
病気は生き方・くらし方のマチガイのシグナルです。
生き方・くらし方の中でいちばんの比重を占めるのが食生活です。
私たちは、ほとんどのひとが、自分がマチガッタ飲み食いをしているとは思っていません。
正しい食べものを食べていると思いこんでいます。
ところが、病気になるからには、そうではないのです。
病気は各おののひとに判断のマチガイを教え示しているのです。
まして、ガンやエイズ、心臓病や肝臓・腎臓病や、脳卒中や糖尿病などの難病にかかるのは、これまで行ってきた飲み食いが相当にマチガッテいたとの証明です。
食い改め(悔い改め)の生活革命を素直に謙虚に行えば、玄米正食の効果は顕著にあがるし、そうでなければ、いかに玄米とて、その効力を十二分に発揮できるものではありません。
カテゴリー:玄米が病気を治す
玄米を食べる事で血液を清浄にする
いま病気で苦しみ悩んでいるひとはもとより、不健康状態のひと、健康に関心あるひとは、玄米正食法の基本食を半月から一ヶ月間、だまされたと思って実行してみることです。
断食せよといっているのではありません。
死ぬようなことはありません。
実行のまえに、この食事法の考え方の基本を整理しておきましょう。
そして改めて納得できたら、はじめてください。
玄米食も玄米正食法も、疑心暗鬼の気持や不気味な念いをいだきながらとか、だれかにすすめられてしかたなしにとか、そういう気持や損得計算で行うのなら、私はおすすめしません。
玄米の効果・効能
すでにいくども述べたように、玄米と玄米正食法は、私たちのご先祖が発明発見した伝統的な文化と食生活の集積の上に築かれた食事法ですから、現代栄養学の食事とはいろいろの点でちがいがあります。
ちがいがあるというより、アベコベだらけであるといえるし、だれもがその印象をもたれます。
欧米風食事法と日本風食事法は、それほど違いがあるわけです。
日本人が、日本という風土で生活するのに、欧米風食事が良いか、日本的食事が良いか、さてどちらが艮いか、アレコレ考えなくても血液は黙っていても証明します。
白米・白パンに象徴される精製食品は、姿や格好は日本的(和風)な食物や食品や食事内容のように見うけますが、これらは欧米風食事ですからご注意ください。
精製精白文化は欧米思想です。
玄米食に関心をもたれるひとに、私は、ひとつだけ質問せねばなりません。
あなたは、ホテルのような大きな病院へ入院して、有名な医学博士の医師の診断のもとにもっとも新しい化学薬品の注射や内服と、各種の栄養成分を調合した栄養剤の点滴と、時には輸血と、これらを総合した治療を受けられたなら、どんなに幸せかしれないというアコガレの気持かこころではないかどうか、これを自問自答してください。
もし、このようなアコガレのこころか気持が少しでもあるなら、玄米食や食事療法にすすむべきではありません。
薬と栄養剤の点滴にすすむべきです。
また、すでに注射や点滴や輸血に依存しきっているひとは、よほどの真剣な覚悟がないかぎり、いまの方法をつづけるべきです。
玄米という食物で病気を治し、健康になりたいということは、玄米の内なる天然の生命力に己れの生命の動向をゆだねるということです。
食物に宿る宇宙生命(神)に己れをゆだねる、宇宙生命に血液をゆだねるということです。
これは、化学薬剤や他人の血液や人工の血液によって強制的に血液・体液の状態を変えるという手法ではありません。
食い改めるについて、人為人工力へのアコガレこころがあるなら、そのこころなり気を済ませることが先決です。
食い改めの最大の目的は、血液の浄化です。
せっかく食い改めても、血液の浄化に改まらないなら、食い改めになりません。
血液の浄化には、食べものの食い改めと、こころの悔い改めが必要です。
ですから気持やこころのすみのどこかに、食べものなどで病気は治るのだろうかとか、玄米などで丈夫になれるのだろうか、などという疑念や不安があるのなら、安心をもたらしてくれる方法を、まずは済ませてしまうことです。
安心も血液を浄化するひとつです。
私は29歳まで、現代医療と栄養学に全幅の信頼を寄せて、依存しきっていました。
これ以外に方法はないと思いこんでいたのですから、のめりにのめりこんでいたといえます。
しかし、年々体調は悪くなるばかりで、家族にも病気が絶えませんでした。
これほど現代医療と栄養学に忠実なのにと、不思議でたまりませんでした。
それほどに念いをこめて現代医療と栄養学の限界を実体験したことは、その後の人生にたいへん役立っています。
現代医療と栄養学の手法では、血液は決して浄化できない、血液を浄化するには食い改めと悔い改めしかない、と素直に自覚させていただけた、まさに「陰あれば陽あり」「谷深ければ山高し」でした。
こうした試行錯誤を経たおかげで、玄米正食の緑を得られ、この体験を踏まえて正しい食い改めによる血液の浄化をおすすめしたくてならないのです。
血液・体液の状態が、現状よりすこしでも良くなれば、そのぶんだけあなたの生命力は高まり、強まります。
これが継続されて血液・体液の総浄化、総入れ替えが行われれば、病気や悩みは解消せざるを得ません。
食い改めによって血液を良くする、という主旨に、「そうしたい、そうしてみたい」と考え賛同できたなら、どおぞ玄米正食をはじめてください。
血液を清浄にするということは、生命力および自然治癒力を高めるということです。
血液を清浄にせぬかぎり、いかなる病気も根本的な治療にならないし、根本治癒は不可能です。
カテゴリー:玄米が病気を治す
玄米と血液
「玄米を上手に炊いて、バカのひとつおぼえでよいから、コツコツ、モグモグよく噛んで食べ、あせらず、あわてず、あきらめずにつづけさえすればよい」
というと、それは新興宗教のようだとか、人生のたのしみがない、といわれたり受けとられたりします。
玄米狂変じて玄米教だなどと、いうひともいます。
私に対してなんといってくれても、かまいません。
しかし、玄米に対しての誤解や偏見や悪口はいけません。
お米ほどありがたい食べものはなく、このお米に対してその真実をわきまえない偏見での軽はずみの言行は困ります。
悲しいことです。
お米は、天地が人類に恵みもたらし下された、最高のタカラモノ(宝物)です。
タカラモノとは「田からの母の能」の意味も秘めているようです。
「田」とは、陰(マイナス)と陽(プラス)の電気が結びあって大地に化した象徴の文字でもあるそうです。
このタカラモノについて、最少限のことは述べておかなくてはなりません。
玄米を食べるまでは、私もお米に無知な人間でした。
無知ゆえに病気になり、病気のおかげで玄米のご緑を恵まれたのですから、病気は無知への愛のムチだったのです。
さて、まずは玄米と血液(赤血球)について述べなくてはなりません。
健康なからだには健康の条件がある、いまさらいうまでもないことです。
しかし私の理解する健康の条件のいくつかを、ぜひとも述べておきたい。
私の恩師桜沢如一先生は、健康の条件を次のように規定しています。
一、絶対に疲れない
二、ごはんがおいしい
三、よく眠る
四、もの忘れしない
五、いつもニコニコ愉快でたまらない
六、判断も行動も万事スマート
七、けっしてウソをつかない
彼は、この七つをもって「健康の七大条件」とし、それぞれに点数をつけて健康度をはかるようにしています。
私はこの条件をはじめて知った時、「こんなムチャな健康条件は、信頼できない」と思いました。
生身の人間が、絶対に疲れないとか、もの忘れしないなんてことは考えられません。
他の項目に関しても同様な感想でした。
この七つの条件のどれもが、玄米食をはじめた当初は、すべて突飛もない別世界のことで、ハッタリに思えました。
それほどに、私は病人だったわけです。
陰性人間だったのです。
ところが、玄米食をつづけるうちに、完壁ではありませんが私も疲れなくなり、快食、快便、快眠できるようになり、これらがどれもスバラシイ指標であることを納得できるようになりました。
そしてこれらが、肉体的、生理的、物理的、心理的、精神的、道徳倫理的根拠に由来するスバラシイ条件であると、理解できるようになったのでした。
桜沢先生は、玄米食によって、この条件はかなえられるし、これを実現するのでないなら玄米食をする意味はない、と述べています。
玄米食のスバラシサの一例です。
桜沢先生の恩師といわれる石塚左玄先生(1851〜1910)は、玄米の力に関して、またべつの見方をしています。
健康な身体には、健全なる生理的条件があるのは当然ながら、その具体的なものは何か。
その具体的探究をなされました。
血液の生理に注目したわけです。
和方医学の精神で、血液を科学的にわが国で最初に研究した医学者といえます。
健康な血液には、健全な赤血球があること。
健全な赤血球には、健全なる赤血球の条件のあることを研究されました。
「赤血球中のナトリウム(Na)とカリウム(K)のミネラルバランスが1対5の時、人間は健康である」
ことを発見しました。
そして、赤血球中のナトリウムとカリウムのミネラルバランスを1対5にするには、どうすればよいかを追求し食物の分析と食べ方を研究したのでした。
この過程で、たくさんある食物のなかで、玄米(明治期前のもの)がナトリウム、カリウムのミネラル比が1対5であることを発見します。
と同時に、ひとの歯の形態と構造から、人間は穀物菜食動物であると診断しています。
「お米や穀物を主食にして、赤血球のナトリウム、カリウムのミネラルバランスを1対5にする」。
これが、病気を治し、病気にならない健康体の基本条件である、と。
これは非常に重要な健康理論です。
血液、体液には、健康体に必須の健全なミネラルバランスが各ミネラル間にある。
その中で、赤血球中のナトリウム、カリウムのバランスは代表的な指標です。
石塚左玄先生は、そこに着目したのでした。
では、なぜ、ナトリウムとカリウムのミネラルバランスが重要な代表的指標か、が問題となります。
本当は、専門家による学術的論証を紹介したいのですが、末だ、そのような研究にはおめにかかれていません。
それゆえ両先生を紹介しつつ私見を述べることにします。
カテゴリー:玄米が病気を治す
天然自然の治癒力と人為人工の治療力
食物を食べるということは、自分のからだで、自分用の赤血球をつくることです。
自然の食物は、天から地、地から植物、植物から人(動物)へと生命因子と生命力(生命エネルギー)を運搬授受するものです。
この生命因子と生命力は、宇宙の生命力と一体のものであることはいうまでもありません。
宇宙生命力の一部分であるといってもよろしいでしょう。
これゆえ、天然自然の食物は、宇宙生命力の波動や螺旋をもっています。
食物にかぎらず、人体も、その他すべてこの世のものは、生産の生命力と死滅の生命力をもっている。
その生命力は波と螺旋(渦巻・スパイラル)の形態をしています。
お米のデンプンや、タンパク質を構成しているアミノ酸の分子構造が、すべて左螺旋形態なのは、宇宙生命力の螺旋形が具体化しているからです。
地球上での創生エネルギーは左回転、左螺旋であると知ることができます。
目を宇宙に向けて、地球の動きを観察してみてもわかります。
自転公転は左回転です。
この回転のもとに、地球上の万物は生産されているのですから、創生の性は左螺旋が優性でなければなりません。
しかし螺旋は、いつしか、かならず旋転せねばなりません。
創生期・活動期を経て死滅期へと変換する一瞬を迎える。
この変換点を境に螺旋は右回転へと旋回するはずです。
右回転、右螺旋が優位・優性になった時、その生命力は活動という形態を経て破滅・崩壊・消滅・死滅期に入ったと見なせます。
天然自然の生命力は、私たちの地球に、左螺旋形優位で入ってきて、右螺旋形優性で出てゆく。
そのようなエネルギーの流れになっているといえます。
これは人為人工力では作動しえない厳格な宇宙法則です。
左回転力が優位優性であるあいだ、創生力(自然良能・自然治癒力)がはたらいている。
逆の表現をすれば、自然良能や自然治癒力は左回転優位優性の生命力といえます。
さらに極端な表現をすれば、自然治癒力を高めるには左回転生命力優位になるような生理環境にすればよい、ということになります。
そして、ここで着目されるのが、お米の分子構造です。
お米のデンプンやアミノ酸の分子組成構造が左回転であるのは、十分うなづけることです。
「風にそよぐ稲」の章でも述べたとおり、稲が米という種子を産生する過程は、天地のありとあらゆる生命力を体得する生活です。
天然自然の左螺旋エネルギーを、さまざまな運動によって凝縮して種子にしている。
お米は左螺旋エネルギーの缶詰です。
これゆえに、お米の優秀性が抜きん出ているともいえます。
左螺旋エネルギー量が大きければ大きいほど、生命力、活動力は大きい。
左螺旋エネルギーが右螺旋エネルギーになっていくと、活動力は右螺旋優位優性のエネルギーとなり、崩壊から死滅(消滅)過程のエネルギーになっていきます。
人為人工物は人間の活動力の結果です。
天然自然物は宇宙生命力の結果です。
人間の活動力の結果である人為人工物は、右回転優性エネルギーの構造形態を宿命とし、宇宙生命力の結果である天然自然物は、左回転優性エネルギーの構造形態を宿命としている。
人体は天然自然物です。
将来はどうなるかわからないですが、現在までは、すくなくとも天然自然物の範噂にあり、天然自然の生命力で生かされています。
左回転優性エネルギーによって、右回転に変転転換する際のエネルギーで生活しているわけです。
薬(化学薬品)や放射線や手術など、これらはすべて人為人工物です。
右回転エネルギーの凝集、凝結されて結晶化した性質のものです。
こうした特性というか宿命を帯びています。
病気とか不健康とか怪我は、左回転エネルギーの異常な欠損・損耗・消失、あるいは偏向状態の現われと考えてもよいでしょう。
この状態の人体に、右回転優性エネルギーを授与・注入したらどうなるか。
残存乏しい左回転エネルギーは、右回転エネルギーに中和され打ち消される結果になります。
化学薬品や放射線や手術を用いれば用いるほど、病気は治らなくなり、生命力は損耗消失させられて減退する原理はここにある、と私は考察しています。
病気を治し、健康になるためには、生命力を充実させねばならない、とだれもがいいます。
しかし、どのような生命力を、どのように充実させるかについては、現代社会の常識というか通念はだいたいが次の決まり文句です。
その第一が早期発見、早期治療です。
あるいは早期発見、早期手術です。
早期とは、いったいいつからのことでしょう。
生れてすぐ、あるいは生まれる以前からというのでしょうか。
これでは、まるで、病気におびえるためにこの世に生まれるようなものです。
あるいは、病気を発見するために生きるようなものではありませんか。
人生とは、そんなものではありません。
第二によく聞くことは、十分な栄養を摂れということです。
このほか、病気になったらすぐ専門の医師に診てもらえといっておきながら、医師自身による医療部分はわずかで検査漬け、薬漬け、医療機器依存、放射線、移植手術などと、すべて人為人工力依存です。
コンピューターによる診断と処方箋や施術法指示の医療へと進行中です。
機械に人命をゆだねるのを科学的とか科学時代と信じているようです。
これらの結果は、すでにいくどもいくども述べたとおりです。
天然自然の生命力・治癒力と、人為人工の治療力には宿命的なちがいのあることを理解しておかなくてはなりません。
カテゴリー:玄米が病気を治す
玄米は農薬に汚染されているのか?
「玄米は農薬に汚染されているから危険、白米は精製してあるから安全」といわれます。
いろいろの集会や会合などで「私は玄米を主食にしています」というと、栄養士や大学教授や高校の理科の先生から「玄米食は危険だから、やめたほうが良い」と、親切(?)な忠告をいただくことが、よくあります。
しかし私は農薬と化学肥料が使用された、いちばん最盛期の栽培稲玄米を三十年間も、すでに熱心に食べてきています。
その玄米で、健康をとりもどし、丈夫になった。
「汚染された玄米でも、病気を治す力がある」と解釈せざるを得ません。
近所のお米屋さんから買った、ごく一般的な玄米です。
この玄米を、圧力釜で炊いて、正食法にしたがって食べたにすぎません。
この時期に玄米を食べていた人や家族は、私が知っているだけでも、ほかにもたくさんいます。
それぞれに健康をとりもどして丈夫になっています。
食べ方をまちがえて腹ぐあいをこわしたとか、一時的には効果の認められなかったという人もありますが、そのために、以前からの病気を悪化させたとか、被害を蒙ったというようなことは見聞していません。
同じ時期、白米、自パンで高タンパク、高エネルギーの栄養食を常食して、ガンや心臓病や糖尿病や脳卒中などになった現代病患者は、あいもかわらずたくさん見聞しています。
これに対して、玄米を食べて、そのために、あらたに病気になった話はききません。
このように私は、「論より証拠」で玄米の効能を述べているわけですが、玄米について学問的研究がしっかり行われさえすれば、玄米には驚異的な「解毒・排毒力」があることが証明されると確信しています。
研究しなくても、次のような体験例で推察することもできます。
お米の糠(ぬか)や油からつくられたセッケンは、公害などおこさないで、よごれを良くおとします。
肌のためにも、たいへんよい。
あるいは、米ヌカを布袋に入れて風呂に浸し、それに入浴しますと、皮膚病や肌荒れや小さな怪我などきれいに治してしまいます。
その米ぬか袋でからだをこすっても、よいことです。
汚れた食器や、木造の柱や床や階段の汚れおとしや、磨きあげにも効果があります。
小ヌカからつくられたビタミン剤や食用油が、血管を掃除して、血行を良くすることは昔からよく知られています。
米ヌカの効能・効果については、改めてべつの機会に述べるとして、玄米の病気治療や治癒力については、私が知るだけでもたくさんの実例があります。
かかりつけの小児科医院や病院での診察や検査や投薬も効なく、大学病院でもどうにもならなかった私の娘が、玄米で治って元気によみがえったことが口づてに伝わって、若いお母さんがたから、いまでもたくさんの相談をうけます。
オッパイをのまないで、日ごとに痩せ衰えてゆく、という原因不明の食欲不振の相談からはじまって、アトピー性皮膚炎とゼンソク症、脂漏性剥脱性湿疹、アレルギー性鼻炎、蓄膿症、中耳炎、難聴、咽喉炎、気管支炎、遠視、近視、斜視、禿頭症、水頭症、脳腫瘍、胃腸障害、脱腸、白血病等、これらは正しい玄米食で治ってしまう。
正しい食べものこそ、最高の薬である、ということがよくわかります。
カテゴリー:玄米が病気を治す
病気になる理由
世の中には、たえず病気がちなひとと、病気の絶えない家庭がある一方、まったく病気しらずで病気のない家庭がある。
なぜこの違いがあるのだろう。
病気だけとはかぎらない。
たえず事故災難など不幸や不運に見舞われどうしのひとや家庭がある反面に、いつも健康で幸福や幸運に恵まれて毎日を難なくすごしているひとや家庭がある。
これらの違いは、いったいなにが原因で生じるのだろうか。
私は幼少時代から29歳まで、たえず病気がちで、私の育った家庭は病気の絶えない、貧乏に追われどうしの家庭だった。
なぜ自分はこんなにも病弱なのだろう、なぜわが家はみんな病気ばかりする家庭なのだろうと、この疑問は小学生の頃からずっと抱きつづけ、気になっていた。
長女の病気がキッカケで、それまでの食生活を、玄米食に変えた。
その結果、これらの疑問がみな解けてきた。
病気になるのは病気になる理由と原理があり、病気が治るのには病気が治る原理があり、健康家庭には健康の原理のあることがわかった。
病気と玄米食生活が、これらを教えてくれた。
私にとって、病気や怪我や災難は、必要不可欠なありがたい教師であった。
以前は、「病気はいやだ、丈夫になりたい」「病気は不快だ、健康になりたい」「病気はこわい、はやく治したい」「貧乏はいやだ、金持ちになりいた」などと、不平や自分勝手なわがままな欲の一点張りであった。
自分の個人的な生命や、自分のその日その時の気分にとらわれて、生命の道理をまったく理解していなかった。
病気と玄米食は、それを教えてくれた。
まことの生命の道理を学んで以来、私もわが家も病気のない家庭になった。
ようやく世間なみの健康家庭になれた。
これゆえ、いまや私たちにとって、病気と玄米食は生命の教育者にはかならない。
世間には玄米など食べなくても、丈夫で健康なひとや家庭はたくさんある。
ご先祖や両親が正しい食生活を伝統として来た家は、だいたいが子孫は健康に恵まれ繁栄している。
食生活のまちがいの度合に比例して、病気や怪我や災難との遭遇はおこる。
子孫の病弱化や不幸や盛衰も、それに比例する。
現在は丈夫で健康で幸福でも、現在の食生活が生命の秩序や法則にはずれていれば、子孫はかならず病気や不幸になる。
現在の食生活は将来の幸不幸、健康や病気の種まきをしている。
丈夫で健康とは、生命力が充実していて健全ということで、まことの生命力には宇宙の根源からの秩序(道理)があって、この秩序に随順せずには万物万生ともども生命力を充実させることも高めることもできない。
宇宙には宇宙の秩序があり、生命には絹秩序(宇宙法則)があり、これを踏みはずすと破滅と衰亡の道をたどらねばならない。
現代人は、口ではさかんに平和な世界と、健康で幸福な国や社会や家庭の実現を唱ぇている。
しかし、実際に行っていることは、破滅と衰亡への道を零して進んでいる。
たとえば、地球環境の健全なる保全は生存の第一の基本なのに、たえず破壊と汚染を深化進行させる原発を建設し、運転し、他方では原爆実験をつづけ、自動車や航空機やロケットを競って走らせて大気を汚染し、森林や河川を破壊し、大小の戦争をも繰り返す。
健康を守り増進させようといいながら、健康を破壊する農薬や化学肥料や農法などを使用推進し、健康を害する飲食品を製造販売して愛用させ、愛好する。
経済の安定と自立をはかるためといいながら、ムダや公害や貧困の生じる道を選んでいる。
生命力を充実させ健全にするには、充実した生命力を天地自然から授受させていただくしかないのに、空気でも水でも土でも、農漁産物からすべての食物に至るまで、天然の生命力をわざわざ減滅して摂取する商品化に競争して鋭意努力している。
こうした基本的な常識段階で、現代人は大きな勘ちがいをしている。
錯覚をしている。
判断をちがえている。
日本人にとってお米ほど貴重でありがたい食物(主食)はない。
このありがたいお米をも、まったくまちがった常識が一般化してしまっている。
お米を正しく主食とすることによって、個人的な健康はもとより世界人類のあらゆる面での健康問題は大きく改善される。
当サイトは、ささやかな個人的な体験と考察をまとめたにすぎないが、意図するところはまず自分や家族の健康の確立を第一として、社会や国や世界の健全な発展、および万物共存共生のための食生活法の提案である。
この意を汲みとって読んでいただき、そしてすこしでもお役に立てば、なによりもうれしい。
カテゴリー:玄米が病気を治す


