病気になる理由
世の中には、たえず病気がちなひとと、病気の絶えない家庭がある一方、まったく病気しらずで病気のない家庭がある。
なぜこの違いがあるのだろう。
病気だけとはかぎらない。
たえず事故災難など不幸や不運に見舞われどうしのひとや家庭がある反面に、いつも健康で幸福や幸運に恵まれて毎日を難なくすごしているひとや家庭がある。
これらの違いは、いったいなにが原因で生じるのだろうか。
私は幼少時代から29歳まで、たえず病気がちで、私の育った家庭は病気の絶えない、貧乏に追われどうしの家庭だった。
なぜ自分はこんなにも病弱なのだろう、なぜわが家はみんな病気ばかりする家庭なのだろうと、この疑問は小学生の頃からずっと抱きつづけ、気になっていた。
長女の病気がキッカケで、それまでの食生活を、玄米食に変えた。
その結果、これらの疑問がみな解けてきた。
病気になるのは病気になる理由と原理があり、病気が治るのには病気が治る原理があり、健康家庭には健康の原理のあることがわかった。
病気と玄米食生活が、これらを教えてくれた。
私にとって、病気や怪我や災難は、必要不可欠なありがたい教師であった。
以前は、「病気はいやだ、丈夫になりたい」「病気は不快だ、健康になりたい」「病気はこわい、はやく治したい」「貧乏はいやだ、金持ちになりいた」などと、不平や自分勝手なわがままな欲の一点張りであった。
自分の個人的な生命や、自分のその日その時の気分にとらわれて、生命の道理をまったく理解していなかった。
病気と玄米食は、それを教えてくれた。
まことの生命の道理を学んで以来、私もわが家も病気のない家庭になった。
ようやく世間なみの健康家庭になれた。
これゆえ、いまや私たちにとって、病気と玄米食は生命の教育者にはかならない。
世間には玄米など食べなくても、丈夫で健康なひとや家庭はたくさんある。
ご先祖や両親が正しい食生活を伝統として来た家は、だいたいが子孫は健康に恵まれ繁栄している。
食生活のまちがいの度合に比例して、病気や怪我や災難との遭遇はおこる。
子孫の病弱化や不幸や盛衰も、それに比例する。
現在は丈夫で健康で幸福でも、現在の食生活が生命の秩序や法則にはずれていれば、子孫はかならず病気や不幸になる。
現在の食生活は将来の幸不幸、健康や病気の種まきをしている。
丈夫で健康とは、生命力が充実していて健全ということで、まことの生命力には宇宙の根源からの秩序(道理)があって、この秩序に随順せずには万物万生ともども生命力を充実させることも高めることもできない。
宇宙には宇宙の秩序があり、生命には絹秩序(宇宙法則)があり、これを踏みはずすと破滅と衰亡の道をたどらねばならない。
現代人は、口ではさかんに平和な世界と、健康で幸福な国や社会や家庭の実現を唱ぇている。
しかし、実際に行っていることは、破滅と衰亡への道を零して進んでいる。
たとえば、地球環境の健全なる保全は生存の第一の基本なのに、たえず破壊と汚染を深化進行させる原発を建設し、運転し、他方では原爆実験をつづけ、自動車や航空機やロケットを競って走らせて大気を汚染し、森林や河川を破壊し、大小の戦争をも繰り返す。
健康を守り増進させようといいながら、健康を破壊する農薬や化学肥料や農法などを使用推進し、健康を害する飲食品を製造販売して愛用させ、愛好する。
経済の安定と自立をはかるためといいながら、ムダや公害や貧困の生じる道を選んでいる。
生命力を充実させ健全にするには、充実した生命力を天地自然から授受させていただくしかないのに、空気でも水でも土でも、農漁産物からすべての食物に至るまで、天然の生命力をわざわざ減滅して摂取する商品化に競争して鋭意努力している。
こうした基本的な常識段階で、現代人は大きな勘ちがいをしている。
錯覚をしている。
判断をちがえている。
日本人にとってお米ほど貴重でありがたい食物(主食)はない。
このありがたいお米をも、まったくまちがった常識が一般化してしまっている。
お米を正しく主食とすることによって、個人的な健康はもとより世界人類のあらゆる面での健康問題は大きく改善される。
当サイトは、ささやかな個人的な体験と考察をまとめたにすぎないが、意図するところはまず自分や家族の健康の確立を第一として、社会や国や世界の健全な発展、および万物共存共生のための食生活法の提案である。
この意を汲みとって読んでいただき、そしてすこしでもお役に立てば、なによりもうれしい。
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