食のまちがいが病気の原理
食のまちがいが病気の原理で、食い改めが治癒の原理です。
なぜ、こんなことが病気と治癒の原理なのでしょうか。
食い改めるということ
「食なきところに生命現象なし」という格言があります。
「食」には広義の食と、狭義の食がある。
広義の食とは、日光、空気、大地など生活環境のすべてと、音楽、絵画、書、彫刻、演劇、武芸、舞踏、読書、旅、運動、労働など目・耳・鼻・皮膚などを通して摂取される教養や知識などこれらすべて食物の一種といえます。
狭義の食とは、人体の口からとり入れて胃腸へ送りこむところの、いわゆる日常の飲食物のことをいいます。
ここでいう「食」とは、口で飲み食いする食物のことと考えてくださって結構です。
「食なきところに生命現象なし」を裏返して考えると、「生命現象があるためには、食がなくてはならない」であり、さらに「生きるためには食物がなくてはならない」ということであり、「食わずには生きられない」「生きるには食わなくてはならない」ということでもあります。
要するに「食わねば生きられない」、これが生物生存の原理です。
それでは、ただがむしゃらに、欲するままに飲み食いすればよいかというと、ただ単に生きて死ぬだけならそれで済みますが、ヒトとして、人間として、それなりの生存者として生きるには、生き方と在り様が問題となります。
人間は神の子である、ともいわれる。
それなら、それなりの生き方と在り様があるはずです。
「食正しければ、人また正しい」という格言があります。
食が正しければ、その人は人間性も生き方も健康も正しい、という意味にうけとれます。
飲食にまちがいや不正がなければ、人生にも健康上のこともまちがいはおこらない、という意味にも解せます。
そして、ここでの問題は、「正し」の基準です。
「食正しければ」の「正し」は、いったい何を基準にしているのか。
およそ人間はだれもが、自分を、自分なりに正しいと考え、みなしています。
自分が正しくないことを行っているとは思わない。
これゆえ、自分のまちがいや不正になかなか気づかない。
自分では気づけないから、痛いとか苦しいとか、気分がわるいとか、神が病気や怪我の形で気づかせてくれる。
神が気づかせてくれてるのですから、救いや教えを神に求めるのがいちばん道理にかなっているのに、神に求める前に自分の知識や知に頼ってしまう。
それは神とは何か、神はどこにいるのか、それがわからないから拠りどころができていないのです。
この世の生物は、すべて、宇宙生命の分身です。
宇宙生命の分身ですから、宇宙生命力で生かされている。
私たちは宇宙生命力を、食物という形でいただいているのです。
宇宙生命と宇宙生命力を神と考えてもよいでしょう。
宇宙生命と生命力には厳然たる法則や秩序がありますから、これらをも総称して「神」というべきかもしれません。
ですから「食正しければ、人また正しい」は、「神の教えに従った飲み食いをしていれば、あるいは宇宙法則・宇宙の秩序に随順した食生活をしていれば、病気や不幸になることはない」という意味が明瞭です。
すなはち、病気や怪我は宇宙法則違反、宇宙秩序違反の警告にほかならない。
しかしこうした警告を受けても、自分がどのような違反を、どの程度犯したのか、あるいは犯しているのか、それが分かりません。
それを知るためには、何を、どうしたらよいか。
それが問題です。
この答えはいたって簡単です。
「食正しければ病気になるはずがない」のです。
ですから病気や怪我に遭遇したら、いまおよびいままでの飲食と食生活にまちがいがあったと察知せねばなりません。
それも一度や二度ではなく、常習的にかなりの期間にわたってまちがいを犯していたと考えられます。
原因あっての病気や怪我なのです。
以前、白血病のMさん一家の治病体験例を記しました。
医師はこの病気の原因を指摘してくれませんでした。
ガン再発を防ぐ為のおすすめ食事☆「有機(自然農法)玄米+雑穀米」
白血病がどういう病気で、患者はいまどういう状態であるかについては検査や診断の結果を説明してくれましたが、なぜ白血病になったかの原因の説明はありませんでした。
しかるにMさんは、「食は命なり」ということ、「食なきところに生命現象なし」ということ、さらに「食正しければ、人また正しい」という食と生命の関係を学んで、いままでの食生活に重大な間違いがあったからこそ、このような難病を招いてしまったと気づくことができたのでした。
自分では正しいと信じこみ、思いこんで行ってきたこれまでの飲食と食生活のどこかに重大なまちがいがあったのなら、これをキッパリ改めれば、改まった結果になる。
そのように判断したのでした。
そして、それは正解でした。
宇宙法則というか自然の摂理、自然の法則、宇宙の秩序、生命の秩序と申してもよいのですが、これに従う正しい食生活に改革する、これこそが病気の原理をわきまえた根本治療から根本治癒に至る基本理念なのです。
これは、個人の病気や怪我や不健康にかぎったことではありません。
家庭はいうにおよばず、会社でも社会でも国家でも地球でも、みな共通してあてはまります。
いま健康で幸福で、どこにも憂いも不安も心配もないというひとは、いまおよび過去に不正も間違いもない証明です。
こういうひとは、食い改めする必要はありません。
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