食事療法の効果が現れるのは、時間がかかる
玄米を、よく噛んで、コツコツ、モグモグ根気よく食べつづけると、いつしか体調は良くなります。
慢性的な病気もちのひとに私は、
「あせらず、あわてず、あきらめず、バカのひとつおぼえのごとく、コツコツとつづけなさい。それがいちばんの、かしこい早道です」と助言します。
モノゴトには、すべて、手順がある。
順番がある。
秩序がある。
順番がこなければ成就しない。
順番がきて実現する。
病気の場合、はやく治りたい、はやく治したい、と誰もが気は急きます。
しかし病気にも病人にも、それ相応の前科と因縁がある。
この前科や因果のひとつひとつが一枚一枚うす紙をはがすように、人が本来もっている自然治癒力のはたらきで、はぎとられ、消え失せるのには、それなりの順序がある。
その順序には、それなりの時間を要します。
根本的治療と治癒には、根気と忍耐が要るのです。
食事療法は根本療法です。
それゆえ「あせらず あわてず あきらめず」の精神が必要です。
「そんなのんきなことは、していられない。言ってもいられない。患者は救急を要すのだ。即時即刻の手術や注射や輸血や点滴を必要とする」
というのなら、そうなさるがよろしいでしょう。
食事療法や食養療法は、天命にさからって行う方法ではありません。
良寛さんが「災難に遭う時節には災難に逢うがよく、死ぬ時節には死ぬがよく候」とおっしゃった。
その精神が必要です。
覚悟が必要です。
西洋医学の方法の現代医療は、天命を待つとか頼る方式ではない。
医療技術力で可能なかぎりの処置をする。
施療側の考えで必要なら、いくどでも同じような手術でも投薬でも行う。
病症に対応することはすべて、正当化される。
ですから「手術は成功だったが、病人はたすからなかった」などという報告になります。
さもなくば、植物人間、廃人にしてまでも生かしておく。
赤血球の腸造血説を唱えられた千島喜久男博士(1899〜1978)は、「自然には飛躍はない」と申された。
含蓄の深い鋭いきびしい言葉です。
自然には飛躍はない。
なにごとも、なにものも、すべて、ひとつひとつの根拠、手順、秩序がある。
万物万象は、ひとつひとつの積み重ねの結果です。
この場合の「飛躍」は「手抜かり」とも考えられる。
「自然には手抜かりはない」と言い換えてもよいかしれません。
短い表現の中に、全宇宙、大自然の真理がみごとにとらえられていて、実にスバラシイ言葉です。
私たち人間の行うことは、どんなに綿密周到な行為行動のつもりでも、手抜かりばかりです。
時間がたつと、それらがいかに多かったかが、明白になる。
欠点や欠陥が露呈してきます。
どんなに精密・精細・精巧に諸事万端、一心不乱に集中努力・尽力しても、人間の行うことは手抜かりと手抜きばかりです。
科学は分類・分析が本質ですから、科学技術が進めば進むほど、手抜かりや手抜き部分が派生してくる。
科学の宿命です。
これゆえ、科学万能だなどと解釈していたら、とんでもない落しアナに墜落します。
人類はいま、まさに地獄のアナに墜落しかかっています。
これにくらべ、自然(神)の行いに、ムダも手抜かりもない。
ひとつとして飛躍はありません。
それなのに私たちは、人間の行うことのほうが、自然が行ってくれることよりも、すぐれていると考える。
これは、大きな錯覚です。
大きな大きな考えちがいです。
食べもので病気を治すということは、自然(神)の手順におまかせするということ。
自然の手順にまかせると時間がかかり、それに対応する人間の手順もかかります。
このへんの事情を納得できなければ、自然の手順などおかまいなしの人間の手順優先の医療や医術をたよるのがよい。
そのかわり、手抜かり、手抜き、副作用、後遺障害など落し穴が付随していることを覚悟しておく必要があります。
化学医薬品の副作用、放射線や放射能の副作用なども、便利のうしろにかくれひそんでいる障害、人為人工の手抜かり、手抜きの一例です。
玄米の力が十分に発揮されるためには、それなりの時間・空間の手順が必要です。
「あせらず あわてず あきらめず」は、そのための、こころがまえです。
このこころがまえで、コツコツとつづければ、いつしか風邪にかからない体質になり、アレルギー体質やその他の不健康体質を改善できて、いつしか病気のない身体と家庭になる。
したがって、本当なら、もうこれ以上のことを述べる必要はないのかもしれません。
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