旬に合わせた食生活が基本
日本には春夏秋冬の四季があります。
四季のある国や土地は外国にもあります。
しかし、同じ四季と称しても、四季の内容がちがう。
質がちがう。
日本の四季は、まことに内容ゆたかで、天地の生命エネルギーが多彩に満ちています。
地球上でいちばん精巧な変化に富んだ、それでいて調和に恵まれた四季といえましょう。
この四季を、日々の生活に十分に活用して生きるのと、この恵みを拒否し破壊して生きるのとでは、まったくちがう生き方と人生になるのは明らかです。
たとえば、暑い夏に、日本ではキュウリやナス、トマト、スイカ、トウモロコシなどができます。
これらはからだを冷やす「陰」の性質に富む野菜類です。
夏にはからだを涼しくする産物を日本の風土は恵んでくれている。
これらを上手に摂って、適度に暑気払いしなさいというわけです。
日本よりもっと暑い熱帯では、これらの野菜類よりももっとからだを冷やすはたらきをするバナナとかマンゴーとか、野菜類よりはるかに陰性力の強い果実類が産生され、自然の暑気と人体温のバランスを調整する天地のはからいがなされています。
このように気候風土とその季節の産物と人体の生理は、天然自然のはからいによって、うまく調和がとれるように調節されています。
ところが現代の文化生活と称するものは、これを破壊する生活法を科学的と考えて得意になっている。
たとえば、冬に暖房した部屋で、夏の食物を食べ、冷えたビールやコーラを飲み、熱帯産の果物や冷菓を飲食するのを文化人と思いこんでいる。
人体生理にとっては、自然を無視したとんだ野蛮な行為です。
冬にこのような飲食をしたのでは、胃腸はいうまでもなく、肝臓、腎臓、心臓、肺や膀胱などは冷やされすぎて、冷え性、寝小便、流産や不妊症、風邪や気管支炎や暗息やシモヤケ、これらをおこしやすい体質と体調にしてしまいます。
カレー料理なども同じです。
四季には四季の、その土地ごとに最適の産物がある。
その季節の、その土地のその産物のことを「旬のもの」と称することはみなさんすでにご存知のことです。
旬のものを食べていれば、からだと気候風土は調和しあって、無理なく健全な生理活動が行える人体のシクミになっています。
ただ単に体温の調節や調整に適しているだけではありません。
旬のものは、目や口や舌先においしいばかりではなく、おなかへ入ってから腸内細菌類の活動にも適しているのです。
おいしいお酒や味噌や醤油や漬物には酵母菌の快適なはたらきが欠かせないのと同じように、腸内細菌類も季節ごとに対応する働き手があって、季節ごとに役者がかわり、はたらきぐあいもちがうのです。
旬のものでないと、人体も腸内細菌類も余分のストレスをこおむった。
生じさせたりすることになります。
食物には、大きく分けてからだを温める作用をする性質のものと、冷やすはたらきをする性質のものとがあります。
その季節の日光や空気・水・土が植物となり、この植物が食物となるのですから、気候風土が食物の性質になるのは至極当然です。
食物は、田畑で採れるもののほかに、野山や森や林や、川や沼や海で採れるものなど、いろいろあります。
それらはみな、季節の特徴を背負っています。
季節に対応して快適な生存を植物それぞれ自体も求めるわけですから、季節に順応する性の成分と、季節に対抗する性の成分と、陰陽双方の怪の成分をそれぞれにほどよく織りまぜて怪質としています。
季節の気を、陰陽の形に織りこんで、内包しているわけです。
それゆえに「旬」のものとして貴いのです。
四季は、夏には暑気を払うようなものを、冬にはからだを温めるような、そうした「陰」と「陽」の食物がほどよく生産される風土の自然生態系を組みあげています。
こうした自然生態系に順応し随順し、自然の摂理にしたがって生活しょうというのがエコロジカルライフとか、マクロビオティック生活法とか、自然塾とか自然学校と称する自然生活法追求のグループ活動です。
しかし人類の大勢は、四季にかぎらず季節そのものを遠ざける生活のたゆまざる追求です。
自然や季節を征服するのを文化だ文明だと称しています。
科学は自然を征服するためにのみ存在するがごとき状勢です。
最近は、もうすっかり、食卓から四季感はなくなってしまいました。
季節など問題ではなくなってしまった。
テレビのコマーシャル食品や、コンビニストアやスーパーの安売食品が食卓の主人公です。
もっとも、食卓さえ不要になりつつあるようです。
季節を追放した住家と、季節を追放した食卓が常識的な家庭や常識人間で、冷暖房を備えていない家や、旬の食物にこだわる人間は異常人間とみなされるありさまです。
いまや日本人は、一年中快適な温室のような住宅に住み、いつでも好きなものを好きなだけ食べられる冷蔵庫と食卓をもち、美味飽食の楽園の住人です。
しかし、ああうまかった、おいしかったわ、結構なごちそうだったわねと満足するのは、舌先から咽喉にいたる10センチ足らずの距離と、それらが口中に滞在する数分間の感覚にすぎません。
それ以外の時間と人体は、飲食物のほとんどはストレス物質と化し拷問の道具となって、五臓六腑と神経は書に退いたてられ、処置におおわらわの華す。
旬を無視する食生活は、想像以上に大きなストレスと負担をからだに与え、体調を狂わせて病気を促進する大きな原因となるものです。
四季の季節感のない食卓は、また、子どもの能力の開発を疎外してしまう。
四季に反応し作動して発達する神経を育てなくしてしまうのですから、神経が鈍感になるのはあたりまえです。
腸内細菌類も鈍感となり、不活発になります。
どの季節に、どのような食物が、どういうところで、どのように生産されて、お母さんはそれらを、どこで、どのようにして求めてきて、どのように料理し、食卓に盛りつけてくれたか、あるいはお弁当をこしらえてくれたかというような生活学習をするチャンスも必要もなければ、子どもにかぎらず大人でさえも知らず知らずのうちにバカになるのは必然です。
語呂合わせ的な表現とうけとられるかもしれませんが、食卓に四季が無いのは自然に関する知識や知恵を学べなくなり、情緒や感情に乏しい無機(無季)質的な人間づくりの生活になりかねません。
「旬」の重要さを認識するまえに、もっと基本的なことを述べておかなくてはなりません。
四季を無視し、追放する生活は、季節や天候や気温に反応してはたらく神経を鈍感にすることはさきほど述べました。
最近、自律神経失調症と診断される病人が多い。
自律神経の失調や変調に関して述べておきます。
それは、「朝と夜」「日の出と日の入り」の自然のリズムと神経の関係です。
人体の生理は、朝(日の出)になると目が醒めて起きて活動し、夜(日の入り)になると目は閉じ睡眠する仕組みになっています。
朝、太陽の光に、自律神経のうちの交感神経が感応して目蓋が聞かされる。
交感神経はこの場合、開いたり広げるはたらきをします。
夜になって光が失せて暗くなると、こんどは副交感神経が作動して、目蓋を閉じさせる。
副交感神経は閉じたり縮めたりする機能をつかさどっています。
交感神経と副交感神経は、開く讐る嘉る縮める、というように陰と陽という相反するハタラキをしながら互いの毒活動を補い扶けあっています。
ですから自律神経は、朝になれば目を開かせ、夜になれば閉じさせるシクミになっています。
これを一晩中起きていて、テレビを見つづけたり、勉強だ、仕事だといって、昼と夜をとりちがえた生活をしていると、自律神経は自然の生理リズムとは逆の労働を強制させられることになります。
こうした不自然な、自然無視の生活がつづけられれば、自律神経はやがて狂って不調になり、失謝せざるをえません。
自律神経失調症を治すには、名医にかかり精神安定剤などを服用するまえに、自然とともにの生活リズムを回復するのが先決です。
人体の自然の正常な生理リズムを狂わせる生活をそのままにしておいて、小手先の治療にあくせくしても、根本的な治癒は不可能です。
1日には1日の、自然と生体の緊密な生活リズム・生命リズムがあり、これを度外視しては健康生活は不可能です。
「旬を食べる」の生活も、これとまったく同じです。
「旬を食べる」生活は、季節の自然の生命リズムと生気(生エネルギー)をいただく行為です。
明治以降の科学的ということですすめられてきた現代文明生活は、本当に良かったのか正しかったのか、すべてが悪かったわけではありませんが、よく反省し検討せねばならない時です。
大腸がんの抗癌剤治療
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