玄米には不思議な力がある
玄米は栄養学的にも、生態学的にも、植物学、植物分子学的にも、生理学的にも、医学的にも、化学物理学的にも、経済学的にも、教育学的にも、およそあらゆる角度から検討しても、これほどすぐれた食べもの(食糧)はありません。
玄米に含まれている栄養成分は?効果・効能のほどは?
これを総合して、甲私は、玄米には神力がある、と申し上げざるをえません。
自然に対抗し、自然を征服して人間天国を実現するという思想の下では、このようにスバラシイ食べものは邪魔なのにちがいありません。
しかし人類は、すでにさまざまな実験や試験を行い、たくさんの貴重な犠牲の記念碑や墓碑を築いたのですから、もうめざめねばならない時です。
自然とともに、自然に従順に折り合いの節度をもって、万物と共存共生してゆくべきです。
玄米を正しく知る、お米を正しく知るということは、天然自然のありがたさ尊さを認識する第一歩です。
あなたが、玄米を炊いて、一口(あなたの親指の第一関節分くらいの量)を30回から60回、60回から100回ほど噛み、これをいくどか実行して、「ああ、玄米って、あんがいおいしいんだな」と感じて納得するなら、あなたは玄米の恵みを受けられる資格者です。
最初からこのような感想をもてなくても、炊きぐあいの上達とともに、玄米のおいしさを認知できれば、やはり資格者です。
玄米をおいしくないとか、まずいというひとのほとんどは、実際においしく炊けた玄米ごはんを食べたことのないひとか、先入観的に玄米を嫌悪しているとか、生理的に玄米を受け入れられない生理や体質になっているひとの場合です。
玄米に含まれている栄養成分は?効果・効能のほどは?
いくどか努力しても口に合わないとか、体質に合わないというひとも、たまにはあります。
このようなひとは、無理して食べる必要はありません。
玄米ごはんをおいしいと感じられて、これなら食べられると納得されたひとは、そのまま玄米食をはじめられて、つづけてください。
あなたの血液はどんどん浄化されはじめて、玄米の生命力を授かりはじめます。
健康は日まLに向上しはじめます。
あなたが「玄米って、おいしいな」と感じられ、「ああ、おいしかった、ありがたい」と感謝の気持になる時、玄米を組成していた生命の素粒子が分解されて、あなたのこころとからだに宇宙の生命のヒビキを伝えているのです。
そして、さらにあなたが玄米と一体になるにしたがって、まえに述べた健康の七大条件のどれかが実現されはじめているのを納得されます。
病気だらけだった家庭は、病気のない家庭に、しらずしらずのうちに変わってゆきます。
ひとも家庭も、ほんとうは、病気も病人もないのがあたりまえでなければなりません。
ひとも家庭も、みんな健康なのがあたりまえなのです。
健康でないとか、病気だらけというのは、「食」に根本的なまちがいがあるのです。
玄米は、ひとをも家庭をも、健康をあたりまえにしてくれる。
その力をもっています。
「神力」とは、ごくあたりまえ、ごくふつうという意味の別称であるともいえます。
現代人の味覚、喚覚、触覚などは、人工的な味や感触に慣らされてしまった面もあります。
自然の風味を感知するまでに、多少の時間を要すかもしれません。
努力をしても自然の感覚をとりもどす必要があります。
野生動物や人間の赤ちゃんは、天然自然のものと人為人工のものを瞬時に感知します。
お母さんが、天然自然の食べものを主食にしているか、人為人工の加工食品や化粧品や洗剤を用いているか、ちゃんと識別しています。
現代の大人たちは、科学的知識や社会的観念や宣伝やら流通情報などによって、自然治癒力という内なる神の声も、天然自然の恵みという外なる神の声をも、聴くことも視ることもできないほど本物と偽物を識別する能力を麻痺されています。
病気とは、心身ともに赤子にかえれという、神のお告げです。
人間は大人になるにしたがって、こころもからだも悪くするのは、神が用意してくださった食べもの飲みものから日ごとに遠ざかり、人為人工の食生活に支配されて、それをあたりまえの習慣にする結果です。
こうした悪習性に気づいて、人為人工食主体の食生活を改めて、天然自然が主体の食生活へ軌道修正することは、神に近づこうとする意志表明にはかならず、神が感知しないはずはありません。
玄米ごはんを、おいしいと感じられるのは、神とのヒビキあいができるということです。
白米とか白パンとか化学精製塩などは、人為人工力によって強制的に天然自然の生命力(左回転エネルギー)を剥ぎ奪り、削ぎ離した食品です。
口あたりがよい、食べやすい、見た目がきれいというような表面的な感覚だけで常食するのは、明らかに神をないがしろにした行為です。
生命なきものを自ら求めるのですから、生命乏しき己れになるのは当然です。
玄米や玄麦や自然塩や自然農法産物がよいからといって、これらをただ無闇に食べていさえすればよいというものではありません。
身心に適合する正しい食べ方がたいせつです。
食べるということは、栄養を摂りさえすればよいということではありません。
身も心も、おいしくたのしめて、感謝できて、生きている歓びに満ちあふれるようでありたいものです。
それには、その食べものの生命が、最大限にわが身心にいただける対応を、わが身のほうから食べものにはたらきかける必要があります。
それはどういうことかというと、正しい食べものを自ら選び出し、正しい料理法を自ら習得し、正しい食べ方でいただく。
体質や体調や病状に応じた食べものを選択し、料理し、しっかりいただくということです。
私も玄米を食べはじめの頃は、詳しいことはなにも知らず、分からず、ただ病気を治したい、はやく丈夫になりたい、家族を丈夫に健康にしたいの一念だけでした。
妻が工夫しては、玄米を上手に炊いてくれたおかげで、おいしく食べられ、玄米への感謝のこころをもちつづけることができました。
玄米の神力(生命力)を十分にいただくには、なにはさておき玄米ごはんを上手に炊くことがたいせつです。
玄米ごはんを上手に炊けるかどうか、それは炊くひとの愛情のバロメーターになります。
万物万象への愛情のバロメーターです。
私は、玄米ごはんをおいしくいただきつづけるうちに、いつしか「一食一生」を痛感するようになりました。
一口一口の玄米ごはんが、私の一生です。
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