玄米の栄養は人体の各層各部に適合する成分
三大消化液の処理をうけた玄米は、つぎに吸収される段階にはいります。
とはいっても、健全な人体は、そうやすやすと簡単に、性急に吸収しません。
念には念を入れた処理を行う。
前記の三大消化液処理に加えてさらに、胆汁、十二指腸液、腸液などが加わって、消化管内食物(乳摩)の微細な部分にまで、無駄や失敗をおこさないための綿密な消化吸収作業が配慮されています。
玄米に含まれている栄養成分
玄米の全成分が完全に目的をはたすための作業と合致しているようです。
これにくらべ、いまの栄養学ですすめている一日30種品目以上の食品からの栄養摂取は、各食品と栄養素に生命の関連性がないばかりか消化秩序が配慮されていませんから、それぞれに応じる消化液の種類・濃度・分泌量などが各部処ごとにバラバラに対応させられることになり、それは、混乱と逸脱と疲労の交錯するパニック状態を五臓六腑と神経に食事のたびごとに与え、それらを疲労困憊することになります。
これゆえに、現代栄養学の食事法は、まじめに忠実に守れば守るほど、五臓六腑と神経に負担を強いることになります。
疲れやすい、疲れがぬけない、からだが重い、ひざや腰が重苦しい、眼が疲れ視力がおちた。
肩がこるなどの鈍重肝機能症から肝臓・腎臓病へ、あるいは糖尿病やアレルギー体質へ、さらにガン化症状へと、病状を訴えるひとがあとを断ちません。
現代栄養学の食事法は、目で見る食卓上は、いかにも栄養あるような豪華で優雅でにぎやかですが、目に見えない体内にはいると、それらは一転して、収拾つかないゴミの山の洪水となって、臓器官神経を拷問にかけてギブアップさせ窒息状態にしてしまう。
見た目と実体は大ちがいです。
栄養学という人間の小知識(小賢しい一片の知識)で、人体内の宇宙自然(人体内の神々)を支配しょうとしても、それは無理というものです。
無理どころか叛逆反行為です。
できるだけ自然に、できるだけ天然にかえる、そうしさえすれば体内の神々さまは、わたしに不都合を生じさせない万全の処理と処方を講じてくれる、その意向をもっとも体しているのが「玄米食」です。
玄米の吸収の一例を見てみましょう。
玄米の皮は、人体の皮膚となる成分を多く含んでいる、ということです。
これは、他の食品に関してもいえることです。
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