玄米正食法および正食医学の源流
石塚左玄と桜沢如一
近世から現代にいたる玄米食および食べもので病気を治す道を守り伝える諸先達の中で、石塚左玄と桜沢如一は欠くことのできない偉人です。
石塚左玄に関しては、食養医沼田勇博士が『幕末名医の食養学』の序章で「自然食の創始者、石塚左玄」という簡潔な記述をしています。
その一部を引用させていただきます。
「石塚左玄は嘉永四年(1851)、福井藩の漢方医、石塚泰助の長男に生まれました。
アメリカのペルー提督が浦賀に入港する2年前のことです。
石塚家は忠臣蔵で名高い大石内蔵助の末娘の子孫で、福井に移り住んでからは代々、漢方医を業としてきました。
左玄の名は、福井藩出身の志士、橋本左内が選んだものです。
左玄は、12歳にしてすでに医師としての腕前を認められていました。
幕末の名医といわれる所以です。
しかし、彼はそれで満足することなく、福井で漢方医学をはじめ理化学、動植物学、解剖学などを学び、さらに独学でオランダの原書を読み天文学も学びました。
明治元年(1868)18歳のときに福井藩医学校に勤務し、同四年(1871)橋本左内の弟で日赤初代病院長と東校(東大の前身)の外科教授を兼ねる橋本綱常を頼って上京すると、翌年、東大南校化学局に入り、その翌年には23歳で、新しい時代に即応した、本格的な医師及び薬剤師の資格を得ました。
明治21年には第一回東京医師開業試験委員、29年(1896)には陸軍少将、薬剤監に昇進したのち退役しました。
その3年前の26年(1893)に『化学的食物塩類篇』と題する研究論文を発表していますが、このとき左玄は、
- 食品をナトリウム塩の多い順に並べていくと、ナトリウムが少なくなればなるほどカリウム塩が多くなること
- ナトリウムの多い食品は漢方で陽性、カリウムの多い食品は陰性といわれてきた食品であること
を発見しました。
石塚左玄の業績はたくさんありますが、その中で特に偉大なのが、右の傍点に記したことといえましょう。
すなわち、食べものには陰と陽の性質があり、それは食品成分中のナトリウム、カリウムの多寡によって決まることの発見です。
この発見は、のちに桜沢如一に引き継がれます。
そのまえに、石塚左玄に関して、もうすこし述べておかなくてはなりません。
彼は明治29年(1896)6月『化学的食養長寿論』を著し、さらに2年後の31年(1898)に 『食物養生法 − 化学的食養体心論』を発行し、前記傍点部の解説および「正しい食物によって病気は治る」ことを主張します。
明治40年(1907)に左玄の主張に共鳴する人たちが食養会を結成、月刊の食養雑誌を発刊することになります。
石塚左玄の生涯にわたる業績に関しては、桜沢如一著『石塚左玄』(日本CI協会刊)、すでにたびたび参照させていただいている沼田勇著『幕末名医の食養学 − いま直る石塚左玄の粗食健康法』(光文社文庫)、萩原弘道著『栄養と食義の系譜』(サンロード刊)などをお読みください。
さて、桜沢如一は、明治26年(1893)10月18日京都に生まれています。
14歳の時母と死別、この頃から体調を崩し16歳肺結核発病、肺結核をも病み、そのほか婦人病以外のありとあらゆる病気を体験したと述べています。
20歳(1912)の時、石塚左玄の食養法により健康を回復、左玄の食品のナトリウム、カリウム成分比による陰陽論にヒントを得て、古代中国の「易」を独自に科学的に分析、解析、編成した「無双原理」を編み出します。
この間、24歳の時、社団法人食養会に入会、食養活動のかたわら、さまざまな学問の多角的な研究と運動を展開、昭和14年(1939)食養会を去るまでの間、監事や会長職などを歴任しています。
左玄は明治42年10月に死去しておりますので、両者の直接の面接や師弟関係は無く、食養道および食養会を通しての関係ということのようです。
桜沢は、石塚式食養法によって自身が救われたこともさることながら、石塚左玄のかんながらのみち惟神道に邁進する純日本精神の心根に心服しています。
著書『石塚左玄』に、やや古風な表現ですが、次の献辞をしています。
「彼(石塚左玄)は明治年間に於て最も徹底的に非日本精神に対抗し、最も壮烈な戦いを戟ひ、且つ最も悲惨な最期を遂げた唯一人の精神的戦士である。
彼は科学に於ける日本精神の優越なる位置を今日より半世紀以前に確立した唯一人の日本精神の科学者である。
彼は東洋独特の哲学を西洋流科学用語をもって解説した一人者である。
彼は明治の近江聖人である。
この一文は、左玄がいかに桜沢に大きな影響を与えたかを推察させます。
桜沢は左玄を見習って、西洋流科学用語をもって古代中国の「易」の解説をし、それを陵駕するともいえる普遍的「無双原理」を組み上げています。
「無双原理とは、万物万象陰陽より成る」の原理で、彼は著書『宇宙の秩序』(日本CI協会刊)によって「陰陽」の成り立ちを解説しています。
そしてこの原理によって、体質の陰陽をはじめ健康・病気の陰陽など、左玄のナトリウム・カリウム論を根底にして発展させています。
左玄のナトリウム・カリウム理論は、桜沢によって大きく開花したのです。
そして桜沢により編み出された「無双原理」と「正食法」は、日本国内でよりも海外において��マクロビオティック″(正食法)、または「マクロバイオティック」の名称で世界的に広まることになります。
東洋文化および東洋思想、および新しい世紀の宇宙観・世界観・生命観を求める西欧人は、桜沢の思想と哲学に科学を超える理論と原理のあることに注目しはじめているのです。
桜沢は、まずはじめに西洋医学に東洋の陰陽理論をとり込ませるべく、挑戦しました。
そのひとつとして、世紀の聖人と称されたシュバイツアー博士をアフリカに訪ね、西洋医学と医療に東洋の食理論と食物療法をとりこませるべく試みます。
しかし彼の意図は通じず、成果を挙げることはできずに終ります。
彼が終局の目的としたことは、東洋哲学と西洋科学の融合融和の橋渡し(掛け橋)になるということでした。
東洋文化と西洋文化、東洋精神と西洋精神、両文明の平和の橋渡しになる、生涯をそれに捧げる一生でした。
次の歌には、そうした彼の心根がこもっています。
飛ぶ鳥の 天駆けるごと 飛びゆきて 行方は人に 知られじと思う
山にかくれて 人知れず 死ぬるが如く 果てむとぞ思う
桜沢は自身を、陰性体質人間とみなしました。
それゆえ彼の玄米食法は、陽性志向の食事法で、食物や食品の選択、料理調理法、食べ方、日常生活法全般にわたって陽性優先、優位の基調を否めません。
二木式玄米食法とは対称的です。
どちらも指導者の体質が、食法の特徴となっています。
二木式が、二木謙三氏の陽性体質を中和させるべく塩分をひかえた、あるいは無塩優位の調味に対して、桜沢式は陰性体質むきの塩分を強調した調味傾向です。
桜沢の「無双原理」は、陰陽の偏向をなくし、正しい中庸に調和させるための必要欠くべからざる発明であったわけです。
これを学ぶことによって、いずれの体質者も、体質や症状や状況や環境の変化に応じる食事や生活など身の処し方を判断することができる、ここに桜沢理論の特徴と普遍性があります。
食物の性質が、そこに含有されるナトリウムとカリウムの成分比によって陰陽の性となるという石塚左玄の発見は、桜沢如一によって体質への陰陽判定へと発展し、健全な赤血球のナトリウム・カリウム比は1対5、そしてこの1対5の比率は地球における求心性力と遠心性力に由来する宇宙法則であるという発見に至ります。
ここに、健全なる人体の赤血球のナトリウム・カリウム成分比率は1対5が基本条件であり、体質の陰陽の測定基準に応用されることになります。
すなわち、カリウム成分の多い飲食を常習しっづければ陰性体質化し、陰性体質に派生する疾病に陥りやすくなり、反対にナトリウム成分の多い飲食を日常とすれば、陽性に偏した体質と疾病に陥りやすくなると診断し、判定できるわけです。
赤血球を検査するまでもなく、プリヤ・サヴァランではありませんが、何を、どのように、どれだけ食べたかによって、体質も病気をも知ることができるわけです。
石塚左玄も桜沢如一も、ともにその理論を十分に臨床的検証に至らぬまま他界しています。
この検証は、いま、大森英桜(1919〜)に玄米正食法および正食医学として引き継がれています。
大森は両氏の欠陥を補充するとともに、桜沢自身も果たし得なかった��食″における「宇宙の秩序」の実践に身を挺して実証中です。
私がこの本で述べていることは、「正食医学」理論にもとずいた玄米正食法の基本です。
石塚左玄の食養論は、桜沢のほかに「食養」としていくつかの支流となり、現在も継承されています。
桜沢如二の「無双原理」と食医理論および思想は、大森英桜の「正食医学」のほかに、「マクロビオティック」として世界各地(アメリカ、ブラジル、ヨーロッパ、インド、東南アジア等)で弟子や会員によって継承されて展開中です。
注 プリヤ・サヴァラン(1755〜1826) − フランスの食通家。『味覚の生理学』『美味礼賛』等の著者。「何を食べているかで人が分かる」は有名な言葉。
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