白米食は弱者をますます弱くする
玄米が人体に必要な栄養素の宝庫であることは、玄米食を説く本にはかならずといってよいほど述べられています。
ですからここでは省略しようかとも考えましたが、この本によってはじめて玄米を知るひともありましょうから、その主だったいくつかだけを特記してみます。
現代人は精白米をお米と思いこんでいます。
しかし、それはまちがいで、精白米はお米の一部分にすぎません。
白米は粕である、といわれるくらい部分化されたものです。
精白は「精薄」(精神薄弱)につながっているのはたしかです。
精白産業・精白社会は、人間の精神薄弱化志向にはかなりません。
「精」とは「青米」、「青米」とは生命力が青年期状態にある力強い生き活きしている時の米の意味を表わしています。
精とは若い宇宙生命力の意味であるともいえます。
この生命力がはぎとられて薄められたのが白米です。
これゆえ、精白・精製しない玄穀を食べていた時代は人びとの精神力や生命力は強く生き活きしていました。
精白して白米や自パンや精製砂糖や精製塩を食べるようになって、ミネラルやビタミンや必須栄養素不足が習慣となり、精神も肉体も薄弱となりました。
人類はわがまま勝手なぜいたくな食生活をするようになって自ら精神薄弱で身体虚弱になる道を選択したのです。
玄米で食べるよりも白米で食べるほうがおいしいという、口先・舌先の感覚による判断で、自分および子孫の将来の命運の選択をした、これは重大問題です。
精白米は、強者が弱くなるために食べるのにはちょうどよい食べものです。
強者の食べものや食べ方を、弱者が模倣する必要はありません。
強者が食うものを、弱者が食ってなぜ悪いなどと、こんなところで不公平だ差別だをかこつのは見当ちがいです。
強者には粕(白米)を食べていただいて弱くなってもらい、弱者は実のある玄米を食べて強く健康になって、人生と生き甲斐をみなが等しく楽しみ味わうのが真に平等というものです。
舌先・口先・目先・鼻先という感覚の平等や公平の探求や権利主張は弱者をますます弱者にして、強者に隷属させる生き方にしかすぎません。
白米社会、白米国家体制、精製精白化産業 - 強者は、なぜこれを推進するか、弱者は冷静に熟視・熟考してみる必要があります。
弱者をいつまでも、永遠に、子々孫々にわたって強者に隷属させつづけるには、粕のような白米を食わせておくのはかしこい方法です。
しかも、よろこぼれ、うれしがられながら代々弱者を自ら志向してくれるのですから、強者にとって、こんなに便利でつごうのよいことはありません。
白米には、こうした落とし穴と、予期しがたい謀略的ともいえる生理生態学的必然性が秘められています。
白米食は、弱者をますます弱く隷属させる食事法なのです。
強者が強者の地位を温存しっづけるのに都合のよい食事法なのです。
しかし、弱者が弱者のままの一生を終りたくなければ、実のある玄米を食べて強者の資格の基本である健康を確立することにめざめることです。
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