農業(食糧)こそ、国家の土台
いまどき敵だ味方だという表現はよくありませんが、話の都合上、あえて使わさせていただきます。
21世紀は「世界政府」とか「地球一家」とか「人類みな同胞」の時代といわれます。
そうはいっても、世界の人びとが無秩序にごちゃまぜになるということではないでしょう。
長期にわたって居住する土地の、それぞれの空という環境の中で生活するのですから、その空の自然の秩序に従って生活しなければならないのはいうまでもないことです。
その時にもっとも基本的に大事なことは、その風土の産する、その季節の食物を食糧とする日常の食生活です。
外国から買ってきて食えばよいとか、音のように外国のものを分奪ってきて食えばよいという考えは、世界の平和の秩序上からも、身心の健康の秩序上からも通用しないことです。
また、食糧ゆたかな国が、食糧の乏しい国に供与するのも、一時的なこととしてはたいへん立派なことですが、それが常習化や恒常化して食糧供与が貧しい乏しい国を支配することになるとしたら、好意や親切とはいえない性質のものになってしまいます。
戦後(第二次世界大戦後)、アメリカは日本を復興させるために、多大の食糧援助をしてくれました。
その援助で日本は息を吹きかえし、私たちは当時の感激をいまも忘れはしません。
感謝する心に変わりはあり豊ん。
あの時の恩を忘れはしないし、今後も忘れてはならないことです。
あれから五十年、いまや食糧事情と食生活はたいへんな変わりかたです。
その変わりざまは万人が承知ゆえ、ここに改めて記すのは省略します。
ここでのテーマに関することのみを述べるといたしましょぅ。
いまや日本は、産業経済の面ではアメリカに次ぐ大国になり、経済の面ではアメリカと経済戦争ともいわれる火花を散らすほどの勢いです。
ここで日本人もアメリカ人も、よくよく理解し覚悟しておかなくてはならないことがあります。
ドイツには「外国の食物をわが家の食卓にのせるな」という諺があるそうです。
これはえらいことです。
私はこの諺の真否や由緒を詳しく調べたわけではあり豊んが、私なりの解釈をすれば、これはしっかりした自然観や生命観と宇宙観なり世界観をもつ国民性のあらわれであると考えます。
いまの日本人のお仕着せ的な民主主義的頭脳には、この諺は封建的で排他的な印象に映るにちがいありません。
しかし、そのような受けとめかたや解釈や評価は、まちがいです。
この諺は、まさに「身土不二の原則」に立つ、国と国民の健康と自主独立を確立させんがための祖先の叡智にはかならず、この諺がいまも守りつづけられているなら、ドイツ民族は、やはりすぐれた国であり国民であり、改めて敬服させられます。
大戦中は、わが国同様に狂気の沙汰の行為・行動があったのは事実としても、大地にしっかりと根づいて立脚する根づよい民主主義が保存されているのを感じます。
世界各国、各国民とも、こと食糧政策、農業政策、食生活に関しては、こうあらねばならないことですし、こうあるべきです。
国によっては、これを実現したくてもできない境遇の国々が多いですが、基本的にはこうあらねばならない。
いずれの国、いずれの国民も自主独立の尊厳を確立するのには、可能なかぎり身土不二の生活実現に努力するのが正しいあり方です。
外国の食物をわが家の食卓にのせないということは、身土不二の原則に従う正しい生き方にはかなりません。
さて、身土不二の観点に立って日本とアメリカの関係の実態と現状を眺めるとどうでしょう。
いまの日本は「世界中の食物でわが家の食卓を満ちあふれさせよう」であり、「世界中の美味珍味を食いあさろう」というありさまです。
明治以降、日本と日本人は、極端にいえば日本の食物と食事法を食卓から追放し、放棄してしまいました。
これがそもそも間違いの根本原因で、以後絶え間なしの無謀な世界戦争へ駆りたてることになりました。
当時は狂気の支配によって、身土不二の真理に耳を貸し熟考する情勢になかったようです。
自然の法則や宇宙の法則を破ると、はまりこんでゆかざるをえない破滅と滅亡の道が口を広げます。
現在もなお依然として、間違えた道をそのまま突き進んでいる状況です。
戦後50年、表面的には豊かで平和で、金持日本と、ほとんどのひとは錯覚していますが、日本と日本人の歩んでいる道は、明治と戦後を引き継ぐ破滅と滅亡の道にかわりありません。
なぜこのようなことがいえるのか。
アメリカはアメリカの行った食糧援助で、戦後の日本国と日本国民を救い復興させ、いまや真の経済大国に発展成長させたと思っています。
それはまざれもない事実です。
このことに対しては、さきに述べたとおり、日本国と国民は深甚の感謝と報恩を将来にわたって忘れてはなりません。
しかし日本を独立させた後のアメリカと、豊国となったとぬかよろこびしている日本自体は宇宙法則を踏みはずした道を進んでいます。
日本は警したといえ独立の精神をもたず、アメリカは日本を警させたとは体裁だけで、実際は隷属させる関係を手放していないのです。
これは日本と日本人に最大の責任があるのはいうまでもありません。
日本人が舶来品崇拝族なのを逆手にとって、アメリカは日本の台所や食卓に踏みこんでくることをやめない。
これは他のモノゴトとちがって、まさに最大の内政干渉にはかなりません。
アメリカのこの攻勢に対して、日本自体がドイツのように「わが国は非常時以外は外国の食物を食卓にのせない」「のせてはならない」の先祖伝来の生活憲法があり、食糧および食生活に関しては干渉してくれるな、とハッキリ拒絶すべきなのです。
外国の食糧を食卓にのせるということは、自国の農業を潰すということではありませんか。
対外国の農業潰しに成功するということは、古い表現ですが「戦わずして勝つ」の兵法の成功であり、「敵を隷属させ、支配し、亡ぼすのに武器は要らぬ」の戦法です。
いわゆる「糧道断ち」による占領です。
日本は、戦後、科学工業貿易立国を宣言することによって、自ら「糧道断ち」を選択し、アメリカはこれさいわい、これ好都合とばかり、食糧の援助と売りこみによって日本を食糧消費市場に目論んだのは明らかです。
食糧貿易の門戸解放を強要し、日本の農業潰しに拍車をかけています。
これは相互扶助、相互互恵、内政不干渉、共存共栄、共存共生、共存共貧の関係ではなく、将来に禍根をもたらす関係です。
オレンジ解放によって、日本のみかん農家は潰滅しました。
農業としてのみかん栽培は破滅させられました。
そしていよいよ米の解放によって、稲作農家は潰減です。
農業としての稲作はごく一部分の特権的農業者と一部の企業以外は滅亡することになります。
「米とみかん」これは日本の生命です。
国の精華です。
この二大精華を放棄するということは、わが国の解体と消滅へつながることです。
世界がひとつの国、ひとつの政府の時代になっても、それを成り立たしめ、支えるかっての国々や地域には、その国、その空の国体と精華は厳存しており、それを正しく理解し尊重し維持存続されるそれぞれの国民や民族の自覚こそ、真の民主々義であるはずです。
国体やその精華を正しく理解していない民主主義はまがいものであり、これを正しく理解しようとしない精神こそ専制的、封雷、軍国主義的といえましよう。
日本人はこれを放棄し、アメリカは放棄させることに成功しつつある。
要するに日本と日本人は、五十年前にアメリカおよび連合国との戦争は終了したと思いこんでいるのに、アメリカは終了させていなかったという解釈がなりたちます。
武器による戦争は「原爆」によって終了したけれど、日本を占領する政策はずっと継続されているのです。
いまようやく、米とみかんの農業を破滅させることによって、いよいよ念願の、日本国と日本人を裸にして支配できることになったのです。
それよりも何よりも、日本国と日本国民よ、これでよいのでしょうか。
「これでよいのか、おまえは糧道を自ら断っている」と私はいわざるをえません。
アメリカがわるいのではありません。
世界の他の国々がわるいのではありません。
お前自身がわるい。
お前自身の問題です。
お前は国の精華の「米とみかん」を放棄してまでも、科学工業貿易立国が正道であると信じた。
いまもって信じている。
糧道(自国農業)を確立して票ての工芸易立国でなくては正道ではないのです。
米とみかんの自給自足体制と食生活を確立しておいての工業貿易立国でなければならないのです。
食糧は、ドイツの諺どおり、100%自給でなくてはいけません。
そうでなければ真の自主独立国民とはいえません。
食糧戦略によって他国や他民族に干渉する行為は、武器を用いない戦争行為であることを、いまや世界憲章に明示する必要があります。
食糧は、機械工業製品や単なる物品や物質とはまったくちがう。
食糧は「イノチ」であって「モノ」ではありません。
イノチは本来、売買してはならないのです。
モノの売り買いは、自由に大いに行ってよくても、食糧をモノとして売買するのは人道をはずれる行為です。
食糧はイノチであるということを、人類はしっかりと理解し認識しておかなくてはいけません。
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